2013年1月21日月曜日

生産とマネタイズ

生産とは新しくこの世に産み落とすことだ。
マネタイズとは権利を他者に分かち与え、見返りを受け取ることだ。

この二つの溝は見ての通り、
ものそれ自体とゲームであって
まったく別のフェイズに属している。

マネタイズが正当化されるべき点は評価にある。
評価されるゆえに、大きな見返りとなるというのは一見よいことに思える。
だが、誰にとっての評価か。

例えば武器は使うものにとって身の安全と敵の制圧能力を増すのでよろしい。
だが、敵にとっては脅威である。
そしてこの場合、敵が脅威に思うことはプラスの評価にしかならない。
武器とはそのようなものである。

また、マネタイズには注目というファクターもある。
これは先の点において誰かがひどくマイナスに思うものも
それゆえに評価を高める場合があり、それゆえ注目という要素が重視される。
マーケティングではセグメンテーションと潜在需要の掘り起こしという
理解をされる側面だ。

かようにマネタイズは世界にとってまったく不完全な制度である。
にもかかわらずこちらが主流であるのは、何故だろう。

それは生産があまりにも当たり前のことであるからだ。
今まで生物的に繰り返されてきた出産が生産であることは言うにおよばず
言葉を交わすこと、料理を作ること、おいしいとつぶやくこと。
こういったことすべてが生産である。

これらを逐一カウントするようなことはされてこなかった。
そしてまた必要もないだろう。
だが、計量化する必要がないこととこれを捨て置くこととは別個の問題だろう。

生きるということをすくい出すために
マネタイズを相対的に弱体化する必要があると思う。